2023年3月21日 春分の日に、修行中の琉球舞踊で初舞台を踏みました。
琉球古典音楽野村流保存会・那覇支部の創立四十周年記念公演での出演でした。
演目は「浜千鳥」。
今年の夏、舞踊優秀賞の試験を受けるためその課題曲の一つである「浜千鳥」を、師匠の前田先生から試験の練習のためにも舞台で踊るようこの機会を有り難く仰せつかりました。
浜千鳥は琉球舞踊の雑踊り(ぞうおどり)の一つ。
明治24年頃 近代琉球芸能の祖といわれる玉城盛重さんによって振り付けられました。
着付けは、紺地(くんじー)の絣をウシンチーにして着ます。ウシンチーとは帯を締めないで着物の上前を肌着の紐に押し込んで固定する着付けです。これは暑い地域である沖縄ならではの帯を使わない着方です。
浜千鳥の歌は、旅先での孤独感、故郷や人の恋しさを歌っています。
囃子にある「チヂュヤーヤー ハマヲティ チュイチュイナ」の”チュイチュイ”は、千鳥の鳴き声が寂寥の思いとオーバーラップするような表現となっています。
私は2022年4月より、琉球舞踊の勉強をするために沖縄に移住しました。
東京ではこの踊りの空気感をどうしても掴むことができないと感じたからでした。
今までも様々な踊りをその本場といわれる場所で学んできて、琉球舞踊もそうなのですが、特に琉球舞踊に関しては今までの舞踊生活の歩みとは全く違ったベクトルにあると感じています。それまでは冒険と探究の踊りの旅路にあり数々刺激を受けてきましたが、今は、ようやく出会うべきものに出会ったように感じているのです。
それは、やはり踊りを伝えてくださる師の存在です。
以前2012年の頭に私がスペインに留学している間にエムザブロウ先生という信頼する師が亡くなってしまいました。それ以降、ジャンルは問わず踊りの道においての師となる存在を見つけることが出来ず、自力でガムシャラに踊ってきました。
やはり師が生きているのといないのとでは天と地ほど違うものです。
そして琉球舞踊を始めてから初めて沖縄で家元と面識した際、その先生の身体から放たれる空気感にひたすら心を打たれまくり、この人の動きを見続けられる限り側で見ていたいと感じました。そして次の年には移住をしてしまったのです。
その時私が見て感じたものは、無意識で究極の「自然」の姿でした。込めるような力がどこにもなく、それでいてしなやかである。嫋やかな風を感じてその空気感、地面から上がってくる土地の匂いや熱気、太陽の鋭い陽射しと強い影、目の前の凡ゆる事象が調和を成していたのでした。これが永遠という概念なのだと思いました。
人は生まれては死んでいきますが、踊りや土地など、そこに根づいて育まれ大切に守られてきた文化はずっと生き続けます。
人が一生をかけてするべきことは、文化継承にあると思ったのです。
そしてそれをするためには、その道の師を自ら探すこと。
尊敬する方、そしてその方の踊りを学びたいと思ったら我が身を捨ててでもその人の持つ光に飛び込まなくては意味がないのです。そしてその光がある限り、その方の元でひたすら稽古をしそれが心身にしっかり宿るようにしていくことが道なのです。
私は前田先生にそれを感じて弟子を取らない先生に、弟子入りするような形になりました。
そうして迎えた初舞台です。
師匠は私の光です。
その光があるうちに私はたくさん吸収し、稽古をして、その先生がこの世に繋いでくださったものを少しでも次の世代に伝えていける一人とならなくてはいけないのです。
先生が繋いでくださっているものは、古く先祖たちから受け継いでいるものです。
その意味の尊さに気がついた時に自分というたった一人の存在の大切さにも気付かされます。
私は沖縄の生まれではないですが、自分の精神に流れるエネルギーの根源のようなものが沖縄にあるのを高校の頃に旅したときから感じていました。祖母の母(つまりは曽祖母)が沖縄の人で、ルーツはあるのですが、きちんと戸籍を辿ったりしていないのでどこの地域の人間だったかはよくわからず。それでも、時を経てこうして沖縄と繋がることが出来てご先祖様が呼んでくださったのだなと思っています。
心をしっかりとこの土地で開いて、
大事なものを守り育てていけるよう邁進いたします。
2023.3.21 春分の日にて
亀甲谷 宝
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