自分がなぜ琉球舞踊を踊っているのかとあまり考えたことがないし、ただ好きでたまらないというだけで一心にこれまで踊っている。その情熱が自然と道を切り拓いて沖縄に移住したり、大学に通ったり、コンクールでも順調に入賞してきた。その勢いで踊っている間は、本来の自分を見ることもなければ、周りにいる人々が自分というものを映し出しているようにしか思っていなかった。
昨日、とある公演を見て、今まで思っていない考えが浮かんできた。
それは具体的にはここで言葉にはしない。
それでも、よく理解できたことは、琉球舞踊や琉球芸能というものが、社会や共同体の中で育まれてきたということ。故郷という場所、それは人間の関係性であり、社会への帰属意識、それこそが芸能を守る力になっている。それを私は単独に社会科見学したような気がした。
私には、故郷がない。
生まれた土地や人々とも特に関係性はなく、故に帰る場所を持たない。自分はどこに生まれた、と言える場所がないのだ。昨日観た公演の熱気は、私の中から立ち上がるものと異種のものであり、それを垣間見た時に運命的な孤立感を覚えた。
以前は、羨ましさも多少あったのだが、その羨ましさは消えてしまった。
ほっとしたかもしれない、
昨日の公演をきっかけに私が踊るということそのものに立ち返る時間となった。
私にできることは、なんでもない空間に描く表現をしていくことだろう。
身体が動きを紡ぎ出すその流れや間に、音の響きに、自然に散布された独特な光の微粒子を見つけては全体を見つめて…その美しさにほっとしていく。
踊りを踊るのではなくて、身体で空間を創造していく。
物心ついた時から、孤独と共に踊り続けてきて今がある。
孤独というエッセンスが私を踊り手として育んできたそんな道程で、
色んな国や文化と触れ合う機会となった。
私が踊りを通して、この地球や世界全体を味わうように
自身の身体を通して自分が感じた光を空間に現してみたい。


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