恩納松下に 禁止の碑のたちゆす
戀しのぶまでの 禁止やないさめ
「恩納節」
恩納節は「恩納ナビ」によって歌われた琉歌。
恩納ナビは18世紀の琉球の女性歌人で
情熱的で自由な歌を歌ったことで有名です。
恩納番所に立つ松の木の下に
注意書きの立て札が立てられているが
恋をすることまで
禁止しているのではあるまいか
琉球古典舞踊「伊野波節」の後半に花笠を被って踊る曲で伊野波節からの長恩納節に至るまでの全体の流れや音と所作から滲む表現にぐっとくるものがある。前半の「伊野波節」がじっと潜みながら想いを内で募らせている女性的な感覚。一方花笠を被って踊る後半の「恩納節」(長恩納節)ではテンポ感もあり対照的な快活さが表れる。
恩納ナビ誕生地を歩く
歌碑のある恩納番所跡からは恩納岳を望むことができる。
恩納番所跡から恩納ナビ生誕地跡周辺を回ることができる。
恩納ナビはとても情熱的な女性だったと言い伝えられています。
他にも色々歌を詠んでいて恩納ナビの有名な琉歌といえば・・・
恩納岳あがた 里(さとぅ)が生まり島 森ん押し除(ぬ)きて くがたなさな 〔訳〕 愛する人は恩納岳の向こう 森を押しのけて引き寄せたい
歌詞にある”禁止の札”とは?
1719年(享保4年)尚敬王のお冠船に列席された中国の使者が北部視察に出掛けることになり、宿泊予定地の恩納番所前に「毛遊び」を禁止する王府命令の立て札が貼り出された。「毛遊び(もうあしび)」とは、青年男女が夜ごと野原に集まり歌ったり踊ったりする日中の労働の疲れを癒す素朴な遊びであったが、王府としては男女の風紀を乱すものであり中国使節にそのようなものを見せてはならないという懸念から貼り出された札だそう。
古典舞踊で踊られる「恩納節」の構成
一、恩納節
恩納松下に禁止の碑のたちゆす
戀しのぶまでの禁止やねさみ
七重八重立てる籠内の花ん
匂移すまでの禁止やねさみ
訳
恩納番所に立つ松の下に注意書きの立て札が立てられているが恋をすることまで禁止しているのではあるまいか
幾重に張りめぐらした籬(まがき)の内の花も誰にもその匂いを止めることはできません
二、長恩納節
逢わぬ徒らに戻る道すがら
恩納岳見れば白雲のかかる
恋しさや詰めて見欲しやばかり
訳
あなたに逢うことも出来ずに戻る道すがら恩納岳を見ると白い雲がかかっている
その景色を見ると恋しさが増して逢いたい想いが募るばかりだ
おすすめの「恩納節」
●渡慶次亨さんの恩納節
声のゆらぎが心地よく、僧侶の読むお経のように声の底にある厚みや伸びがなんとも言えない味わい。何度でもずっと聴いていたくなります。
●リュウカツチュウ−琉球芸能活動中さんの恩納節
琉球舞踊で踊られる恩納節(長恩納節)全容を聞くことができます。
恩納番所跡・所在地
〒904-0411 沖縄県恩納村字恩納